「minamata」
Kohei Fuchigami
私は、水俣市で生まれ18年間を過ごしました。
そして、外の地域に出て初めて、水俣は「公害病の街」という印象が強いことを知りました。
水俣病の被害を外の地域に発信し、後世へ伝えていくことは大事な事でありながら、
その一方で水俣病のイメージのみが強く先行してしまっています。
この写真が水俣病のイメージによって今まで見えていなかった、
水俣の新たなイメージへ繋がるきっかけになればと考えています。
そして、外の地域に出て初めて、水俣は「公害病の街」という印象が強いことを知りました。
水俣病の被害を外の地域に発信し、後世へ伝えていくことは大事な事でありながら、
その一方で水俣病のイメージのみが強く先行してしまっています。
この写真が水俣病のイメージによって今まで見えていなかった、
水俣の新たなイメージへ繋がるきっかけになればと考えています。